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Renewed [Life]

ボストンを去り、東京へ引っ越して1ヵ月半が経ちました。ようやく新しいブログをたちあげることができたので、よかったらのぞいてみてください。

http://tomomi-boston.blog.so-net.ne.jp/
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Life is Journey [Life]

5月の頭、私は夫と大喧嘩をした。あまりに大きな喧嘩で、夫は家を出て行った(といってもその日の夜中には帰ってきたけれど)。

日本に帰ることは、私にとってとても高いハードルである。そもそも、「日本」というシステムにあまり適合できていない私なのに、結婚して3ヶ月でボストンに来たので、日本で結婚生活を送ったことがほとんどない。そればかりか、ボストンに来て維人を産み、美結を産み、ふたりの子育てをしてきたので、日本で子育てをするというのがいったいどれほど大変なことなのか、よくわからない。でも、夫は仕事へ戻っていく。それがどれくらいの激務なのか、どれくらい家族の時間を持てるのか、さっぱりわからない。そういう状況の中で、私は日本に帰ることを大きく不安に思っていた。日本に帰るのは楽しみなんだという前向きなイメージを持つことができるように、夫と何度となく話し合い、だいぶ楽しみにはなってきたけれど、正直不安を消し去ることはできなかった。夫が夜遅くまで仕事をする中で、ひとりで子供たちと向き合えるか?夫が育児を分担できないその社会構造的な歪みに対して爆発しないで穏便に暮らせるか?その大喧嘩をした日、私はそんな不安を夫にわかってもらいたい気持ちでいっぱいだった。

一方の夫は、私が日本社会に適合しきれないことを良くわかっている。日本に戻ったら自分がどのように仕事に戻っていくのかもイメージができている。だからこそ、ふたりで話し合いをすることにより、納得するプロセスがいったいどういうものなのか、その一連のプロセスを一緒に歩むことによって、失敗さえも成功だったんだと思えるような思考トレーニングを、この2年間私に積ませてきた。それじゃないと、きっと私は日本に帰ったら壊れてしまう。私がダメになってしまうと、家族生活は破綻する。それは夫なりの恐怖であったと思うし、その一方で私への大きな愛だったのだと思う。2年間、トレーニングを積みに積み、いよいよ日本に戻る、というこの最後の局面で、妻はまだ「不安だ」という言葉を口にした。それは彼にとってこの2年間はいったいなんだったのだ、というやるせなさと、妻の不出来に対する大きな絶望だったのだと思う。そんな私たちがcrashした挙句の果ての大喧嘩であった。

夜中に帰ってきた夫と、それこそ夜を徹して話し合いに話し合いを重ねた。流した涙の量も半端なかったし、翌日私の目は腫れ腫れだった(涙)。でも、私はそのプロセスを通じて前に一歩踏み出せたと思う。

ボストンを去ることは、私たちにとって大海原へ出航することに例えることができる。この2年間、私たちは結婚という形で船を作り、夫と私と維人と美結という上船員の構成を整え、4人で海原へ出ても船が難破しないように、流氷へ乗り上げないように、ちゃんと船が前に向かって幸せな航海ができるように、夫と私はある意味のトレーニングをしてきた。いったん海原へ出てしまったら、微修正はできても、「船長が出奔しましたー」とか「コックが倒れてご飯を作る人がいなくなりましたー」というわけには行かない。なぜなら、それは上船員全員の命がかかっているからだ。船着場に一生住み、自分の目の前で船が出入りするのを眺めるだけの人生を送るか、リスクはあるけれどまだ誰も見つけたことのない大陸を目指して海原へ出る人生を送るか。私は、海原へ出る人生を選択したんだった。そこにはいつもリスクはつきものだ。でも、それをリスクと思うのではなく、乗り越えるために与えられたチャレンジとして捉え、上船員と話し合いながら帆を張る、舵を取る。私のしたdecisionはそういうことだったんだ。夫との話し合いで、そう感じた。

私は幸せなとき、その場所に永遠に立ち止まっていられたらどんなにいいだろうと思う。でもそれは、船着場の人生の発想で、それでは海原は渡りきれない。だってそうしたら、海原に出ながら私は、「船着場にいたあのときは、こんなにいい人生だったのに、なんで海に出たらこんな大変な思いしなくちゃいけないんだろう」と文句を言い続けていることになるから。そういう思考回路で海原に出たら、きっと私は途中で壊れて下船しただろう。それが自分でも良くわかる。

人生は、旅路である。何かが起きたとき、立ち止まってその目の前で起きていることを観察していても、眺めていても、前に足が出なくてもいい。でも、いつかはまた歩き始めなければならない。永遠に立ち止まっていることはできない。さぁ、出航のときがやってきた。今日、クロネコヤマトが荷物を全部持って行ってくれたし、維人が愛用してきたベビー用品もお友達が持って行ってくれた(つちこさん、ありがとう!)。スーツケースの荷造りも終わり、今日から3日間卒業式関連のイベント尽くし。12時間後には夫の両親がボストンに到着する。。。

これまでこのブログを応援してくださった皆様、温かく見守ってくださった皆様、本当にありがとうございました。これはボストンに滞在中の私が見てきたこと、感じたことを綴ってきたブログだったので、この記事をもっていったん閉鎖しようと思います。日本に帰って落ち着いたら、自分の中で何かを発信したい!という気持ちが湧き上がってきたら、違う形でTomomi Projectの様子や航海の行方を、また皆さんにご報告できたらと思っています。そのときは、このブログでもご紹介したいと思いますので、またそのときに皆さんにお目にかかれるのを楽しみにしています。本当にありがとうございました。(写真は、今日夫の卒業祝いをした、Harvard Faculty Clubで。夫、2年間ご苦労様。卒業、おめでとう!)

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Closureへの道 [Life]

来週の今頃、私たちはちょうど日本の上空に差し掛かる飛行機の中、だ。そんな今日、愛車ドリーをとうとう手放した。日本語が堪能な、日本で15年くらい働いている、中国人のご家族が買ってくださった。とてもいい人で、美結より1ヶ月上の赤ちゃんがいて、いいご家族にドリー(ドリーという名前の所以についてはこちらを参照)を引き継いでもらえて良かったなーと一安心。2年前にボストンに来た当初から、ドリーはずーっと私たちの足となり、本当によく走ってくれた。維人の誕生も、美結の誕生も支えてくれたのはドリーだったし、NYCや、Vermont州や、White Mountainに行けたのも、ぜーんぶドリーがいてくれたから。夫と私の荒い運転にもめげず、維人のポイポイ攻撃にもめげず、最後に私はドリーを傷つけてしまったけれど(涙)、快適なドライブを2年間プレゼントし続けてくれた。今朝、夫がドリーをお届けにあがるのを見送った後、私たちは今、ひとつひとつのものをclosureに向けて調整しているんだなーと改めて実感。あー、とうとうドリーがいなくなってしまった。

先日は、夫の学友&同僚カップルと、最後のアメリカを堪能すべく、メイン州へ小旅行に行った。メイン州は美しい景色とおいしいシーフードで有名らしいと聞いていて楽しみにしていたのだけれど、本当に噂に違わず美しい景色のオンパレードで、ホテルのシーフードも、帰りがけにFreeportで食べたシーフードも、アメリカで食べた中で抜群のおいしさだった。そんな素敵な旅路の終わり際に、Inter-state Highway(州をまたがって走っている道路)を走りながら、音楽を聴きながら夕日を見ていると、この道を通ることももうないし、きっとメイン州に来ることもまた、もうないんだろうなーとふと思った。ボストンに来ることは、きっとある。維人と美結が生まれた場所、私たち家族の出発点だから。でも、メインまで足を伸ばすことはもうないだろう。

Closureへ向けて私たちは着々と歩を進めている。でも、楽しかった思い出がたくさんあるから、温かい人たちとたくさんめぐり会って、たくさん時間を共有したから、悔いなく先へ進める。1週間後、少しセンチメンタルな気分で、でも自分たちが築いた2年間をしっかり抱きしめて、4人で笑ってこの扉の向こうへ行こう。

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モデルに、なれます? [Baby]

維人が4ヶ月の時に、記念の写真を撮ってあげようと、べビザラスに入っている写真館で彼のプロマイドを6ショットくらい撮ってもらった。こんな小さな子供の笑顔を撮るなんてどんなに大変なんだろう、と思ったけど、その時のphotographerは子供を撮るのに慣れていて、おかげでとてもかわいい維人の赤ちゃんの頃の写真が、我が家の壁にも、双方の両親の家にも飾られている。兄妹、ちゃんと平等にしなくちゃね、ということで、引越し荷物が詰め終わった昨日、写真館に美結のプロマイドと家族写真を撮りに行った。

首は据わったけれど、まだお座りも全然できないし(ちなみに、維人はちょうどお座りができるようになった頃だった)、維人に振り回されている私の生活の中で美結だけの写真を撮ってあげられる機会なんてほとんどなかったからカメラ慣れしてないし、寝てる時間異常に長いし、美結大丈夫かなーと、当日かなり不安に。今回は用事のあったNatick Mallに入っている写真館で。中国語の専門員としてアメリカ軍で働いていた、というイカツイ風貌のお兄さんが、あの手この手で維人と美結を笑顔にさせ、瞬間技で撮ってくれたこの写真たち。

あいにく美結は万人に「美しい!」と言われるタイプの子ではない。"Oh, chunky baby!"(chunkyは塊の、とか、ずんぐりした、とかいう意味)としょっちゅう言われるほど、ほっぺは落ちてしまいそうな肉の塊、だし、夫に似て目は細いし(奥二重みたいなんだけどね)。でも、私にとって美結は世界一美しく愛らしい女の子で、生後の日々の中で、最高の笑顔を撮ってもらって、もう大満足。お嫁に行くとき、この写真、持って行ってね。

ちなみに、美結は今日、朝ごはんに目玉焼きを食べた私の母乳のせいか、顔をガシリと引掻いて血が出てしまった。維人はべビザラスで買い物しているときに、ショッピングカートの上から転落し、お岩さんになってしまった。写真、昨日撮っておいて、ホントよかったわー(涙)。2枚目の写真は、維人が4ヶ月の時に撮った写真のワンポーズ。こう見ると、維人はお兄ちゃんに成長したね。

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美結、生後100日目 [Baby]

今日で、美結は生まれてから100日たった。ということは、今日はかわいいみぃたんのお食い初め。。ということに気づいたのが、昨日の夜中(涙)。カレンダーには記入してあったのだけれど、旅行から帰ってきて私も夫もおなかをこわし、美結は疲れから泣きぐずる、という生活をしてたら、すっかり失念してしまった。でもね、母、頑張りました。インテンシブパッキング(引越し荷物を2日間で完成させる!という目標)の合間を縫って、夫に鯛と蛤と小豆を買いに行ってもらい、作りました、お食い初めのお料理(お赤飯、鯛の塩焼き、筑前煮、きゅうりとわかめの酢の物、蛤のお吸い物)。しかも、美結はまだ離乳食もあげてないし、母乳以外一切口にしたことがないのに、食べました、お赤飯(とーってもびっくり!)。といっても、米粒5粒程度、ですけどね。小豆も1粒食べましたよ。にっこり笑って(笑)。あー、やっぱりちゃんと作ってあげてよかった。佳代子さん、お祝いに食器を贈ってくれて、ホントにありがとう!美結の初ごはんに使わせてもらいました☆。あまりにも女の子らしくってカワイイものだから、盛り付けもきれいにしてみました(笑)。

維人がこのくらいの月齢のときは、よく「難しそうな顔してるねー。哲学者みたい」と言われた。眉間にしわを寄せて、小難しそうな顔をしながらモノや人を見つめる維人を見ては、私と夫はよく「何考えてるんだろうねー。案外何にも考えていなかったりして。。」なんて冗談を言い合っていた。美結は、とてもストレートに感情表現をする。機嫌のいいときは満面の笑み、おなかがすいているときは口をおちょぼ口にしてペロペロ舌を出す。眠くて眠くて仕方がないときは、ヒステリーのように泣き叫ぶ。だいたい見ていると、美結が何を欲しているのか、なんとなくわかるような気がする。そして、この頃の彼女は甘えん坊だ。眠るときも私にぴったり寄り添って眠るし、美結以外の3人が集まっていて、自分だけ放っておかれると、「ちょっとー!」と言わんばかりに私たちを呼ぶ。

引越し準備をするときに子供が二人いるというのは、とても大変なことだけれど、維人と美結がそれぞれの方向を向いて、好き勝手に眠りこけている姿を見ると、やっぱり、ふたり産んでよかったなーと思う。写真は、満面の笑みで自分の目の前に並べられたご飯を見る美結と、美結の代わりに僕が食べてあげるねーと言わんばかりに美結のスプーンをなめる維人。

美結。今日まで健康で元気に育ってくれてどうもありがとう。これからもずぅっと元気で、やわらかい、かわいい女の子でいてください。決して、私のように頑固ちゃんになってはいけませんよー。

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